開発したアプリが3人の策士たちに利用され、3回の転職をさせられるという、想像しなかった30代後半でした。
最後にたどり着いたのは、中堅のソフト開発会社でで、その地方では有名な開発会社でした。
大手ソフト会社のグループで、地方色豊かで、とてもあたたかい会社でした。
途中入社のわたしたちも、あたたかく迎え入れてくれました。みんな、いい会社に転職できたと喜びました。
地方の会社のあたたかさを知った5年間
関西の地方都市が本社の会社で、東京支店に勤務することになりました。
東京支店は、わたしたちの移籍の為に準備されたんです。
まぁ前々から、東京進出は計画があったようで、わたしたちの移籍があったので早まっただけなんですが。
呪いのアプリを消滅させろ!
わたしたちが開発したアプリは、大手ソフト会社を通じて販売され始めると、日本全国に導入されました。
日本全国どころか、中国語に翻訳され台湾企業に導入されるまでになったのです。
順調に見えた矢先。第2の策士開発責任者が、影で動き始めていたのです。
その時期のわたしは、増え続けるユーザーの導入やサポートで全国を飛びまわっていました。
時代はインターネット時代になっていました。
第2の策士・開発責任者は、アプリをWEB化する決済を経営陣から取りつけたのです。そして、WEB化のリーダーは自分であると・・・。
開発責任者は作ろうといっただけで、開発し、導入し、サポートしているのはわたしたちです。
開発責任者は、1度だけ導入に関わりましたが、導入初期のトラブルで体調を壊しおかしくなって離脱しました。導入経験0社なのです。
そんなあなたがリーダーになって大丈夫ですか?
結局大失敗、2年かかってもWEB版は完成せず。プロジェクトは中止しました。
数年後、わたしたちが開発したアプリは市場から消滅してしまいました。
アプリの呪いは、第2の策士・開発責任者の手で解かれたのです。
未来がわかっていたのに放置していたのは、わたしです。
これが、策るということなのか!
いづれにしても、長年多くの人々を巻きこんだ、呪いのアプリが消滅したのです。
45歳 定年まであと10年
呪いのアプリが消滅し、自由になったわたしは45歳になっていました。
会社の規定によると、定年は55歳だったのです。あと10年しかないことに気づきました。
※この記事を書いた2017年で55歳になりますが、まだまだ現役ですよ(笑)
定年まであと10年、どう生きるか。定年後はどう生きるか、生きたいか。
悩みに悩み抜いた結論は・・・。 自由になりたい。 という想いでした。
自由を求めて、会社員をやめた45歳の冬
45歳にもなって「自由になりたい」などと、バカげた夢だと思いますか?
今、わたしは55歳になりましたが、45歳の判断は正しかったと思います。
すっごく自由な平社員になってますもん。
この10年、いろんな出会いと体験をして、自由に生きてきました。
その結果、ストレスのない自由な生活を楽しんでいます。
45歳の決断が、楽しいセカンドライフの始まりでした。
自由になるのに選んだ道は ・・・ 次回につづく。
【たくたくの一言】
40代は決断のとき!決断したから「楽しいライフ」が待っていた!